ご冥福を心よりお祈りしたりなんかしちゃったりしたりして〜(C)広川太一郎
今月の3日に亡くなられていたのだそうです。享年68歳。癌でいらしたそうです。命日がうちの母と一緒。久世さんは3月2日。
・・・春なんて大キライだ。
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今月の3日に亡くなられていたのだそうです。享年68歳。癌でいらしたそうです。命日がうちの母と一緒。久世さんは3月2日。
・・・春なんて大キライだ。
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何故かタレントのラサール石井さんのお宅に泊めて頂いたらしきわたし。
「ボクもう出なくちゃいけないから」と、ラサールさんは迎えに来たマネージャー女史と出掛けられ。
残ったわたしが家に入ってゆくと、脱衣所の前に靴下が丸めて置いてあり、なぜか母のものだと直感したわたしが「おかあさーん」と言いながら戸を開けると、浴槽の中で母がこちら向きに水面に顔を突っ伏していて。
「お母さんっ!」と、悲鳴のような声をあげ、母の顔をあげさせ頬を叩くと「ウーン」と唸って気付いたので、何度か口うつしの人工呼吸をして、
「お母さん良かった! 今、救急車呼ぶから!」とわたしが言うと
「(救急車来るまで)5分しかないから・・・」と母
そこで目が覚めました。
亡くなる間際の、痩せ細った姿の母でした。
目覚めて時間を見たら9:21。
三七日(さんなのか・亡くなった日を含めて3×7=21日目)の朝、9/21生まれのわたしに母が会いにきてくれたようです。
病気が憎い。
母はなんにも悪いことしていないのに、なんであんなに痛く苦しい目に遇わなくてはならなかったのか。
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古稀の母新しき名もて祝ふ
南無清和梅香信女精霊 史津子
どう? エロくないでしょ!
気に入ってくれるといいんだけど・・・(^o^;
こきのははあたらしきなもていわう
なむせいわばいこうしんにょしょうりょう しづこ
真言宗で弔って頂きました。我々のようになかなかお経をあげられない者用に、副住職さまが教えて下さったのが「南無・法号(いわゆる戒名)・精霊」と七篇唱えるというものでした。「精霊」と書いて「しょうりょう」と読むのだそうです。
数えで七十歳になってから16日目に仏様のお弟子になった母に、わたしは「誕生日おめでとう!」を言わず仕舞いでした。
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昨日の嵐とは打って変わってよいお天気のなか、告別式つつがなく終了いたしました。
横浜市南区の久保山斎場で母は荼毘にふされました。
お骨見たらダメだったー!
自分からあんな声が出るなんて。聞いたこともないような声で咆哮してしまいました。
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うちのママン、可愛らしいでしょo(^-^)o
清和梅香信女という素晴らしい法号を頂戴しました。
和枝の一字を使い、「お母さまも苦労がおありだったでしょうが、寒い冬を耐えて咲く梅。その清々しい香のように周りと和する方だったのでしょう」との意味を、副住職さまが込めて下さいました。
毎年お正月にお参りする、横浜市栄区にある定泉寺さんが母は大好きで、わたしの妹か弟にあたる水子ちゃんの供養でもお世話になっておりましたので、このたびも是非こちらでお願いしたいと昨日、お邪魔して参りました。
そうして副住職さまに「ユーモアを持って平等に人と接する」という母の人となりをお伝えし、この法号を授けて頂く運びとなりました。
これはお伝えしていなかったことなのですが我が家のささやかな庭には、早咲きの梅の木がありまして、偶然にも梅という字をお使い頂けたこともまた嬉しくて。
読経を聴きながら、自分でも驚くほど安らかな気持ちでいることができました。
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「13個にして下さいね」
葬儀屋さんにそう言われて、亡くなった当日の深夜、母に供えるお団子を作るべく上新粉を蒸かしました。母が結婚する時に母の母から贈られた蒸し器を使って。
1番下の段を9個、2段目を4個、てっぺんに1個。
どう考えても13個にならない・・・orz
一番下の段の中心をひとつ抜けばよいことに気付いたのは、翌夕のことでした。
日能研からやりなおせ、オレ!(>_<)
これからお通夜です。
仲良くして頂いている音楽評論家の平山雄一さんから句を頂戴しました。
雛の日の雛のやうなる母の貌 雄一
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母を湯灌で綺麗にして頂き、エンバーミングという防腐処理を施して頂きました。
「エンバーミング」と聞き、父はハテナマークでしたが、すぐに内容を把握できたわたしってば・・・(^o^;(推理小説と唐沢俊一センセのご著書のおかげ! ん? オカゲって!?)
親戚、ご近所の方、それにわたしの小学生の頃からの幼なじみの女子が二人来てくれて、
「おばさん、お化粧してるの初めて見た! 綺麗ね」
と言ってくれました。
「おばさん、いっつも元気でシャカシャカ働いていて向日葵みたいだった」
とも言ってくれました。
そのうちの一人のお嬢さんはもう中学3年生。母の死を知って泣いてくれたそうです。
そのお嬢さんが小学校に上がるとき、わたしはお祝いに不二家のケーキを持って行きました。小さな彼女はそれをいつまでも覚えていたらしく。
ある日、外出から帰った母、
「○○ちゃんのお嬢ちゃんが、わたしを見つけるたんびに『おばちゃんとこのお姉ちゃん(わたしのことね)にケーキもらったよー!』って、大っきな声で言うのよ!」
と、嬉しそうに話してくれました 母ちゃん、ちっちゃい子、大好きやね~ん♪
あああ孫の顔見せられなかったよー! ほんとにごめんよー!
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3口ずつ、3日間ほど食べました。
表面が平らではなく、ホイップ状になっているその山すら食べきれず。
残りは父、妹、わたしで全て戴きました。
3/3、雛祭りの午後4:19 母、和枝が永眠致しました。
入院して3日目、69歳の誕生日を迎えてから16日目のことでした。
洋裁と編物の先生のお免状を持っていて、わたしの出演舞台では いつも何かしらの衣装を、まさにオートクチュール状態で仕立ててくれておりました。
母の死に際し、句を詠みました。
雛の宵親が死んでもエロ短歌 賤女
(我ながら因果な女でございます 笑ってやってください)
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本日、昼公演の出番の合間に共演の三上寛さんから、グラスゴーの音楽フェスに出演された時のことや、吉祥寺マンダラ、スターパインズカフェなどのライブハウスに関してのお話しを伺っていたら、わたしの頭にふと聞いてみたいことが浮かびました。
「寛さんは、中島らもさんと交流はおありでしたか?」
「おお、あるよ~! アッチ方面(と仰りながら、ちっちゃい煙草を吸うポーズ(^o^;)の友達じゃなかったけどな(ガハハ!)・・・いや、ちょっと待てよ? 今日、らもが倒れた日じゃなかったか!?」
「えええぇーーーっ!」
わたしはビックリして、「らもさんが来た!?」と、涙がボロボロ・・・。
思わず興奮してしまって「わたし、亡くなる前に一度だけらもさんにお会いすることが出来たんですよ!」と、話し続けていたらバタバタと足音がして、
「寛さん、出番です!」
わたしが寛さんの出のお邪魔になってしまったのです・・・(>_<)
「おっ、いけねぇ!」と、飛び出して行かれた寛さん。
出番を終えて戻られた寛さんにわたしがお詫びしたところ、
「なぁに! らものイタズラだよ!」
と、仰って頂けて・・・。
寛さんのその優しさに、また泣いてしまったわたくしでした~。
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1998年5月2日
恥ずかしながら、今日のこの日をぜんっぜん憶えていなかった。
なのに昨夜の深夜、貯まりにタマッたビデオの整理をしていた時、不意にMステでのhideちゃんの追悼特集を録画したテープが出てきて、そのまま見入ってしまいまったのでした。
最後の生出演だった「ロケット・ダイブ」のhideちゃん、キラッキラしてた~♪o(^-^)o
今、こうしてこの日記を書いているのも、ふとクリックしてみたmixiの見知らぬ足あとの主が、トップページで話題にしていたのを見て、初めて思い出したから。そんなものです。
いやはやナントモ面目ない・・・(って、誰に謝っているのやら(^o^;)。
かざぐるま死んだ男がいい男 賤女
合掌・・・(;人;)
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作曲家の宮川泰さんが亡くなられました。
久世光彦さんに続き、昭和を代表する芸術家の訃報がまた・・・。
宮川さんの作曲された「恋のバカンス」には思い出があります。
映画監督・小沼勝氏が12年振りにメガホンをとった映画「NAGISA~なぎさ~」(2000年・フィルムシティ)
小学6年生の主人公「なぎさ」が一夏のアルバイトをする動機になったのが、街の電気店のショーウィンドウに飾られたレコードプレーヤーを手に入れるため。
そのプレーヤーから流れていたのが、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」でした。
当時出演していた「月蝕歌劇団」で劇中の振付けをしていたご縁で、わたしは「なぎさ」とその友人の女の子が、江ノ島の海岸で二人で「恋のバカンス」に合わせて踊る、その振付けを担当しました。
その頃は沖縄から来た4人組小学生「スピード」の全盛期でした。
主役とその友人の小学生女優二人組が予め自分達で作ってきた振りは、いわゆる“沖縄アクターズテイスト”というか、子供が踊るにはいささか色っぽい、大人の女を模した動きで・・・。
残念ながら昭和30年代が舞台のお話しにそぐわず、でもそれが「踊り」だと思っている彼女達にそれを忘れてもらうことから始まったという裏話がひとつ。
その振付をした際、女性プロデューサーさんが、
「川上さんは・・・女優さんなのよねぇー」と仰って下さり、わたしは主人公にパーマをかけてあげる美容師役を頂きました。
大学生のお兄さんに恋をした主人公が、「大人になりたい!」と願い、レコードプレイヤーを買うはずだったバイト代はたいてパーマをかけるという 短いけれど大切なシークエンスでした。
先日、活弁映画監督・山田広野さんとお話した折、なにかの拍子にこの作品の話題が出て、広野さんはこの作品を傑作だと評していらしゃいました。
その年に広野さんはどこかの映画雑誌でも「NAGISA」の映画評を書かれていたそうです。
わたしの振付した場面もお褒め頂きました♪
2001年ベルリン国際映画祭キンダーフィルムフェスト・グランプリに輝いた作品です
機会ありましたら、是非御覧になってみて下さい~!
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赤坂『ですぺら』で、久世さんとお話したことを思い出したので書きます。
どこからそういう話になったのかは忘れちゃいましたが・・・
わたしが、太田省吾さんの『水の駅』をNHKの芸術劇場で放映されたものをビデオに録って見ていて、
「なんだこりゃ? 全然変わんないじゃん」
と思って、早送りピー(失礼!)とかしながら見ていて。
ところが! 新国立劇場で観た『ヤジルシ』という太田さんの作品を体感して、ぶっ飛んだのです!
『水の駅』を想起させるような、無音でスローモーションの場面があったのですが、完全にその演出効果を“狙って”作られていた、素晴らしい場面でした。
実はその場面で、わたしはフッと眠気に襲われてしまったのですが、パッと目覚めてもまだ同じような動きが続いていて、それは『健康な人間が眠気を催して然るべきテンポ』を意図されていたに相違なく(モチロンそれだけが“狙い”というわけではありませんがw)。
・・・というお話をしたところ、久世さんが激しく同意されて、
「イイ作品ってのは、フーッと眠くなる つまんないのは寝れもしないんだよ 腹が立って」
と仰られたという、そんなオハナシ(自分が憶えておきたくて書きました あと、久世さんが演出されたドラマでの松居直美さんの役に向かって云われたセリフ「あんた楽しそうに笑うねぇー」のハナシは今度書きます)。
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護国寺は大勢の会葬者で溢れかえっておりました。TVの取材や報道のカメラも山のように。
列の一番後ろにつきましたが、そのまた後ろにぞくぞくと列は伸びていきました。
大きな遺影は右手にショートピースを挟んでらっしゃいました。焼香台からお棺は遠くにありました。
殆ど立ち止まる間も無くお焼香を済ませました。
お写真を見たらやっぱり泣いてしまって、お斎の席で少し落ち着くまでビールを頂きました。
しばらく時間を過ごし、失礼しようと本殿を見ると殆どお焼香も済まれて閑散としておりましたので、御遺族にお願いしたところ、お顔を見せて頂くことを快くお許し下さいました。
目を瞑り、死化粧を施された久世さんのお顔は作り物みたいで、なんだか実感が湧きませんでした。
「久世さん、冗談キツイや! 蝋人形とすり替わって〆切りから逃げようったってそうはイカナイんだから!」
本当にそうだったらどんなにいいでしょう。
知人の編集者の話に拠れば(この方は久世さんの書き下ろし単行本を作り始めていて、最初の十枚を頂いたところだったそうです)、倒れられる数時間前に久世さんは、「苦しいんだよ」と、雑誌連載の担当編集者に電話でお伝えになり、「今回は書けない」と仰られていたそうなのです。「入院しようかな」とも。
作家が「原稿を落とす」なんて、よほどの事です。
普通なら「もう二、三日時間ちょうだい」と言うはずです。それほどお辛かったのか、逆に「ちょっと入院でもして、ゆっくりしようか」とお思いになったのか。
朝を待たれず、その場で救急車を呼ばれていたら、或いは・・・。そう思わずにいられませんでした。
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今朝亡くなられました。
昨日までピンピンしていらしたと、お弟子の演出家さんにお聞きしました。
もーなんで? なんで!?
こんなの嫌だ! 信じられない
初めてお会いしたのは久世さんが演出された新橋演舞場。お名刺を頂きました。
処女歌集を出版した時、一番始めに久世さんの顔が思い浮かびました。真っ先にお送りしました。
2冊目の「えろきゅん」が出た時にまた献本させて頂いたところ、逢って下さることとなり、赤坂の「ですぺら」でご一緒しました。
お酒は飲まれず、両切りのピースを三箱ほども積んでらっしゃいました。
いっぱいお話ししました。ずっと片思いしていた人に振り向いてもらったみたいでした。
三回り違いの同じ亥年でした。
「書評書いてあげる」と、光文社「BRIO」の連載1ページにて取り上げて下さいました。
その後、思い出したように
「久世さんです!」とお電話下さったり、わたしが近況報告申し上げたりしておりましたが、最後にお話し出来たのは昨年2月、わたしがロフトプラスワンで唐沢俊一さんとご一緒したイベントへお誘いした電話。
「阿部定と坂口安吾の対談を見つけたんです! わたし、阿部定を朗読するんです」
「おー、それはオモシロそうだけど 久世さんは〆切りで編集者が横で待ってるよ」
ああ違った! 10月の舞台を「いい役なので観にきて下さい」とお電話したら、
「ボク人の芝居観ないんだよ」と仰られた時だった。
1月に朗読で出演するイベント、共演者も大人っぽくて面白そうだったのでお誘いのお電話差し上げて。
いつもなら着信でコールバック下さるのにそれも無く、DMをお出ししたきりになってしまいました。
今日は実はわたしは、色々楽しい打ち合わせや映像仕事のオファーやら、素敵な展示を観たりでウキウキしながら青山から渋谷への帰途を辿っていて、いつものように携帯からチェックしたmixiの書き込みで訃報を知ったのです。
わたしはすぐ、KANOXのTさんという演出家さんへ電話をしました。
T先生は当時、演出助手でいらしたのだと思います。「ムー一族」に近所の甘味処の主人役で出演もされていた方です。
わたしが大学を卒業してから半年通った映像演技のスタジオに講師としていらっしゃっていました 。
T先生との再会も、そのスタジオの事務長さんの葬儀の席上でした。
半年の講座終了後、全く連絡をとったり仕事の絡みがあったわけでもなかったので「ご無沙汰しております」とご挨拶。お名刺を頂戴したところ、そこにKANOXの文字が。
「ああっ! T先生、KANOXでらしたんですか!? わたし先日、久世さんに書評を書いて頂いたんです~」
と作家になった事を報告した次第。
ハナシが逸れました。
訃報を知ったわたしがT先生の携帯へ電話して、
「川上史津子です。あの・・・」と言ったきり何も言えなくなってしまったのを察してT先生は、
「おー、そうなんだよ・・・。さっき希林さんとお別れしてきたよ」
「どこかお悪かったんですか?」
「いや、昨日までピンピンしてたんだけどねー」
骨董通りで携帯を耳に押し当てて、ワンワン泣きながら歩きました。
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らもさんには一度だけお目に掛ることができました。
「らもはだ」というイベントがあります。新宿・歌舞伎町にあるロフトプラスワン。ここは新宿LOFTという老舗ライブハウス系列の「トーク居酒屋」。出演者のトークを肴に、お酒や食事が楽しめるお店です。私も出演者として、唐沢俊一さん主催の短歌のイベントに出演したり、飛び入りで壇上に呼んで頂いたことも度々あります。
「らもはだ」は「ダ・ヴィンチ」という、本を紹介する月刊誌の主催で、中島らもさんと、TVの構成作家としてお馴染みの鮫肌文殊さんのお二人をメインに+ゲストのトークという演し物で、2001年10月から奇数月の第二土曜日に開催されている超人気イベントです。らもさん・イン・ダ・ジェイルの時も、続けられたそうな・・・。
今年の初めに別のイベントで、鮫肌さんとお話する機会がありました。そして、今年2004年5月の「らもはだ」がわたしの「らもはだ」初体験。休憩時間に鮫肌氏のご紹介を賜り、持参した『アマニタ・パンセリナ』に自画像入りのサインを頂くことが出来ました! もう宝物です! お礼に(と云うのもおこがましいですが)自著をらもさんにお渡しすることが出来た上、終演後の打ち上げでお酒とゴハンをご一緒させて頂くことに・・・!
打ち上げ会場の上海料理屋さんで、らもさんは、ゆ~っくりウーロン割りかなにかを召しあがっていらっしゃいました。
食事をしながら、何故か「歯・目・マラ」のハナシになり、わたしが、
「やはりこの順番で来るものでしょうか?」伺ったところ、
「いや~、マラからやねえ」と、らもさん。
「じゃ、わたしが、『これから皆を巻いてドコか行きませんか?』と、お誘いしたら?」
「いや~、行ってもお茶だけやねえ・・・。2軒目も何もしないで飲むだけ・・・。その次の店もそう・・・。そんで朝方になって、『らもさんっ、抱いてっ!』と言わせるまでは・・・」
「・・・そらまた、えらい長いフリでんなぁ」
わたしが突っ込みますと、らもさんがそれはそれは嬉しそうに、『ニィ~』と、笑って下さいました。
それが、最初で最後になってしまいました。
7月の、らもさんが出演された最後の「らもはだ」に、わたしは芝居の稽古があって伺うことが出来ませんでした。
9月の「らもはだ 最終回」と銘打たれたイベントには、らもさん縁(ゆかり)の方が沢山出演なさいました。7月のイベントで、らもさんが唄われた『いいんだぜ』のVTRが流れると、壇上も楽屋も客席も、涙、なみだ・・・。ゲラゲラ笑ってお送りしようと思っておりましたのに。
「・・・なんかあった?」
らもさんが入り口からヒョッコリ顔を出して、そう聞いてはくれまいか? あの場に居た全ての人が、思ったに違いありません。
お客さまがあらかた帰られた後、鮫肌さんがわたしに教えて下さいました。
「キミの差し上げた本ね、こないだらもさん家行った時、らもさんの『これから読む本の箱』に入っとったよ」
今度らもさんが夢に出てきてくれたら、感想を聞いてみようと思います。

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いま、午睡に中島らもさんが出て来てくれました。人の夢の話がつまらないのは知っています。それでも。
壁が白に近いクリーム色で、広めのマンションのような処でのホームパーティです。窓からは夜景も美しく、人が大勢楽しそうにしています。らもさんとわたしは、別のイベント会場からそこへ流れてきました。らもさんは知っている人に声を掛けながら奥へ進み、絨緞に腰を下してお酒を飲み始めました。
ふと見回すと、毎年夏に日本で開催されるワークショップでわたしが演劇を教わっている、イギリスの演劇学校の校長、ニコラス氏が近くにいます。
「わぁ~、ニックさん! どうしてこちらに~? あっ、ご紹介します! Mr.らも中島です。彼はとてもワンダフルなノヴェリストで」
「アンタ、そないに誉めんでも・・・」
らもさんがわたしを軽くタシナメます。
「いやぁ、だってぇ・・・。あ、こちらはイギリスのRADAって演劇学校の校長先生なんですよ! らもさんのお芝居もご紹介しますね!(もう、大好きな人に囲まれて興奮してテンパってるわたし)」
「いや、アンタな・・・」
「この人の作品は、もうね、インクレディブルで、それでファンタスティックでね(英語の語彙が少ないためアワアワ)」
「また大げさなコトを・・・。そない掴み所の無い表現やなくてやねぇ」
「え! ええっ・・・と、あ、じゃ、脚本がカリキュレイトされ尽くして・・・(緻密な構成と言いたかった)」
「アンタ、誤解される! 云わいでヨロシ!」
なんだか漫才のようにポンポンとツッコミが入り、わたしは、
(ああ、らもさん元気で良かった、ヨカッタ)と、思った瞬間ふと、
(ニックさんが日本に来ている時期・・・ってことは、今、らもさんに「気をつけて!」って言えば間に合うってこと!?)
周りの人は楽しそうにお酒を飲み続けています。
「らもさん、あのねっ・・・」
わたしが意を決して、らもさんに話しかけようとした、その時です。
〝ビィーーン〟と音がして、わたしのすぐ目の前に、礼服を着た大柄な男の人が、マイクを持って弔辞を読み上げる姿が現れました。その男性は実体ではなくて、ホログラムのように向こう側が透けて見えています。
(ああ! やっぱりもう〝そんな事〟をしてはダメなんだ!)
わたしは気付くと同時に、大きな声を上げて泣いてしまいました。みんなが咆哮するわたしを不思議そうな顔で見ています。らもさんもわたしを見ています。そのらもさんの顔がだんだんとぼやけて――
わたしは自分の泣き声で目を覚ましました。
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