「ヨコハマメリー」を見終わって
4/15(土)、横浜は伊勢佐木町の映画館「横浜ニューテアトルにて、『ヨコハマメリー』(中村高寛監督)の初日を観て参りました。
かつて・・・といっても、ほんの十年ほど前まで、ここ港町ヨコハマに、ひとりの老いた娼婦がおりました。
背はくるりと曲がり、練り白粉を塗りこんだ顔は、耳の後ろまで一分の隙もなく真っ白。両目の周りはアイシャドウで黒々と縁どられ、真っ赤な口紅にフランス人形のようなヒラヒラしたドレスをなびかせて。大きな金色のバッグを二つぶら下げ、手袋をはめた手には日傘、といういでたちでヨコハマのあちらこちらを歩いていたそうです。
「ハマのメリーさん」彼女はそう呼ばれておりました。
実はわたくし自身も、実際にメリーさんを幼い頃この目で見ていたひとりです。
小学生の頃、東横線・反町駅にあった学習塾に通っておりました。毎週日曜日は、塾の実力テストがあり、テストを終えた夕方は横浜駅付近を散策するのが常でした。塾のだれかが一緒だったこともありましたが、ひとりの時も多かったように思います。
ある日曜日、わたしがテストを終え、いつものように本屋へ行こうと「横浜高島屋」に向かって歩いていた時の事です。薄いピンクのドレスを着て、髪の毛をひっつめた白塗りのおばあさんが歩いていて、幼な心にギョッとしました。そして帰宅するなり母親に、「今日、真っ白いおばあさんがいたよ!」と報告したことを憶えております。
長じて、中島らもさんの『白いメリーさん』を読んだ時、「ああ、わたしが見たあれがメリーさんだったのか!」と・・・。
先のエントリのコメント欄にも書きましたが、本作「ヨコハマメリー」は、本当に繊細で素敵な映画だったと思います。
監督さんはまだ30才とお若い方ですが、ドキュメンタリーの作法をご存知の方とお見受けしました。
わたしの思う「ドキュメンタリーの作法」を、少々解説させて下さい。
巷には「ドキュメンタリー」と冠のついた番組が溢れかえっております。TVで頻繁に目にする、例えば「大家族・○○さん家に密着!」とか、幼児がひとりで初めて買い物に行く番組とか。
ドキュメンタリー作品には取材される対象がいて、それを追いかけている映像があります。限られた放送時間で、対象を「切り取る」以上、そこに当然「演出」があります。
映像(に限らず、報道記事もそうだと言えますが)の怖いところは、その編集の仕方如何(いかん)によっては、視聴者に、取材された対象への見方を決定づけてしまうことが出来る点です。
例えば、同じ対象を撮ったテープがあるとして、映像の繋ぎ方を変えたり、ちょっとナレーションを入れたり、あるいはひとつのカットを丸々削除するだけで「大家族で貧乏だけど、元気に生きてます!」が「親がこんな育て方をしたから子供がダメになるんだ」と、正反対になってしまったりもするのです。
ヒドイものになると、「これゼッタイ台本あって、家族云わされてるよー!」と、ミエミエの場合も・・・(あ゛、なんだかわたしが常々「うんこドキュメンタリー番組」に対して思っていた「クサし」になってしまった(^0^; スミマセン!)
『ヨコハマメリー』は、中村監督が5年越しの取材を通じて切り取った、メリーさんとその周辺の人物を追った作品です。
見終えて一番強く感じたのは、取材の対象への敬意と愛情、でも決してそこに観客をミスリードするような過剰な演出を加えていなかったということ・・・。云ってしまえば、それは監督さんの人間的な品性の問題です。その点でわたしは非常な感銘を受けました。
そして本作はある種の奇跡を内包した作品です。それは登場人物に、既に鬼籍に(ダジャレじゃないよw)入られてしまった方がいらしゃること。そのタイミングが、また更にこの作品の価値を高めていると思いました。
ネこれから御覧になる方々のためにネタバレしたくないので多くは書きませんが、ひとつだけ! パンフレットの最後の文章は、感涙必至です。みなさま! パンフは購入すべしでございますよ~!\(^0^)/
| 固定リンク
| コメント (3)
| トラックバック (0)
最近のコメント