久世光彦さんのお通夜
護国寺は大勢の会葬者で溢れかえっておりました。TVの取材や報道のカメラも山のように。
列の一番後ろにつきましたが、そのまた後ろにぞくぞくと列は伸びていきました。
大きな遺影は右手にショートピースを挟んでらっしゃいました。焼香台からお棺は遠くにありました。
殆ど立ち止まる間も無くお焼香を済ませました。
お写真を見たらやっぱり泣いてしまって、お斎の席で少し落ち着くまでビールを頂きました。
しばらく時間を過ごし、失礼しようと本殿を見ると殆どお焼香も済まれて閑散としておりましたので、御遺族にお願いしたところ、お顔を見せて頂くことを快くお許し下さいました。
目を瞑り、死化粧を施された久世さんのお顔は作り物みたいで、なんだか実感が湧きませんでした。
「久世さん、冗談キツイや! 蝋人形とすり替わって〆切りから逃げようったってそうはイカナイんだから!」
本当にそうだったらどんなにいいでしょう。
知人の編集者の話に拠れば(この方は久世さんの書き下ろし単行本を作り始めていて、最初の十枚を頂いたところだったそうです)、倒れられる数時間前に久世さんは、「苦しいんだよ」と、雑誌連載の担当編集者に電話でお伝えになり、「今回は書けない」と仰られていたそうなのです。「入院しようかな」とも。
作家が「原稿を落とす」なんて、よほどの事です。
普通なら「もう二、三日時間ちょうだい」と言うはずです。それほどお辛かったのか、逆に「ちょっと入院でもして、ゆっくりしようか」とお思いになったのか。
朝を待たれず、その場で救急車を呼ばれていたら、或いは・・・。そう思わずにいられませんでした。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント